金曜日, 1月 31, 2014


区役所で保険や年金の手続きを済ませた。職員に目をやると奥のほうで見覚えのある女の人がいて、同僚とにこやかに談笑していた。あれから3年が経ったのかと懐かしく思う。

「オオヤミノル - 美味しいコーヒーって何だ? 」読了。事前に出版イベントにてオオヤさんのキャラクターを知った上で読んだので、あのクセのある絡み方には心構えがあった。"美味しい"の多様性を追求するオオヤミノルと、美味しさを体系化し共通言語をつくろうとする井ノ上達也の価値観のぶつかり合いが見もの。とはいえ、二人はポジショントークに終始しているだけで対立しているわけではなく、コーヒーを飲む側からすれば選択肢があるかぎりどちらでもよい。

「“美味しい”なら全部OK!」にならない何かがコーヒーにもつきまとっていること。マズくて美味しいことだってあるし、ただ美味しいだけでいまいましかったりするのだ。世界はグローバリゼーション癖がつき、抽象的価値観のお姫様である“味”をもグロバらせようと、ついついしてしまうようだ。
それわかるわーー
ぼくがなんで英語もできないのに、メキシコとかに呼ばれて審査員ができるのかというと、スコアシートがつけられるからですよ。それに一貫性があれば、呼ばれるわけですよ。で、一貫性がなければ次からは呼ばれない(中略)ブラインドでの評価に一貫性がないと呼ばれないし、極端にレンジの幅が狭いと、こいつは自信がないんだなというのが見抜かれる。
それもわかるわーー

この二人の批評は福田和也がいっていた、ワイン批評家のピュイゼとパーカーの違いに重なる。